父上が倒れた。
式典は急遽中止され、父上は宮内庁病院に緊急搬送された。
夜に宮の公式会見、その後太医院と宮内庁病院が合同会見を行った。
今回は命に別状はなかったが、絶対安静。
精密検査の為、当面の入院。
宮は対応に追われた。
失いかけて、初めて見えてくることもある。
目覚めた父上が、掠れた声で僕にかけてくださった言葉。
気丈に振る舞っておられた母上が、父上とお二人きりの時にみせた涙。
そして。
わざわざ追い駆けて来て、泣き出しそうな顔で僕の手を握り、必死に励まそうとしてくれたあいつ・・・
まもなく日付も変わろうとする時刻。
ようやく正殿を出る。
「陛下のご容体にこのまま変化がないようであれば、明日は残務が終わり次第登校する。妃宮は通常通りに登校させてくれ。授業後に妃宮と一緒に陛下のお見舞いに伺う」
「承知いたしました」
コン内官が頷く。
先程宮内庁病院から今日最後の報告が上がってきた。
父上は就寝され、当初心配された発作も起こらず容体は落ち着いているのことだった。
よかった・・・心底安堵し、ため息をつく。
祭祀を含めた今後の公務への対応、及び各方面への通達等、様々な懸案事項の大方の処理を終えたのは先程。
本来であれば直接皇太子が関わらなくてもいいことだが、僕はそれを是としなかった。
父上を失うかもしれないという恐怖。
傍近くにいたのに、父上の体調の異変に気付けなかったという後悔。
そして、こういう状況に陥って実感する『皇帝』という名の大きさ。
何かしていないと崩れてしまいそうだった。
僕を支えていたのは、皇太子としての責務とプライド・・・
気が付くと綿のように疲れている。
辺りの者は皆なんとか僕に食事と休憩を取らせようとしたが、食欲もないし、休息もとっていない。
それでも、長い一日はやっと終わろうとしていた。
東宮殿は明かりも落とされ静まり返っていたが、パビリオンは月明かりで思いのほか明るい。
あいつは寝ているだろう。もうこんな時間だし。
あれからずっとおばあ様の傍にいてくれたらしい。
僕を気遣って何度かメールをもらっていたが、何も返せないでいた。
こんなことになるなんて思ってもみなかった。
なんだか無性にあの無邪気な笑顔が見たい。
・・・ん?
あいつの部屋から僅かに灯りが漏れている。
まさかまだ起きているのか?
!
驚いて、脚が止まった。
パビリオンの目の前のソファにいるのは。
チェギョン!?
パジャマのまま、ブランケットに包まって寝ている。
コン内官も驚いたように見ている。
クッションを枕にすやすやと安らかに眠る顔が見えた。
普通、ここで眠るか・・・?
あ・・・もしかして・・・
跪いて覗き込むと、穏やかな寝息が微かに聞こえた。
「妃宮。起きろ」
優しく揺すってやるが、一向に起きる様子はない。
はぁ、そういえばこいつは寝つきが素晴らしく良くて、眠りが深い・・・
小さくため息をつくと、意を決した。
出来るだけ静かに、起こさないように、ブランケットごとそろりと抱き上げる。
コン内官が目を丸くして僕を見ていた。
「妃宮は僕が運ぶ」
「殿下、お怪我が」
「大丈夫だ。コン内官ももう下がってください。遅くまで済まない。明日もまた忙しくなるから、よろしく頼む」
「・・・畏まりました。では、お休みなさいませ」
何かを言いたそうなコン内官の視線を痛いほど感じつつ、抱き上げたまま何事もなかったかのようにゆっくりと歩き出した。
腕の中の重さを感じながら、ゆっくりと運ぶ。
やはり、起きない、か・・・全く、世話の焼けるヤツだ。
僅かに苦笑する。
気が付いたら、抱き上げていた。・・・迷いなく。
柔らかくて温かい。
それに、甘い香り。
胸の鼓動が早くなる・・・
あいつの部屋に入るとベッドに慎重に降ろす。
「ぅ・・、し、ん・・・く」
むにゃむにゃと何か言いかけている。いったい何の夢を見ているのだろう。
ブランケットをかけ直そうとして気が付いた。
何故か胸にアルフレッドを抱えている。
なんでここにいるんだ?
しかも、あれ?アルフレッドが服を着ている!
思わず、笑った。
たぶん、こいつの仕業だ。
ふんわりと心が温かくなる。
「仕方ないな。アルフレッド、今夜は特別に外泊を許す」
妃宮の安眠を守れ。
ピンクのパジャマの袖から覗く包帯・・・
大丈夫だったのだろうか?
昨晩の出来事を思い出して、胸がずきりと痛む。
この手で僕の手を握り締めてくれたんだ。泣きそうな顔で。
目の前の穏やかな寝顔をじっと見つめる。
あそこで寝ていたのも。
・・・おそらく、僕を待っていてくれたのだろう?
ふっくらとした頬に、そっと触れた。
胸の奥に灯る、ほのかに甘い感情。
それが密やかに疼きだし、急速に湧き上がってくる。
あの『声』がふいに聞こえた気がした。
――― 貴方様の真の御心は、
何処にございますか?
心の奥底の。
僕の本当の心。
・・・今度こそ、認めざるを得ない、な。
急展開だ。
・・・いや、違う。認めようとしなかっただけか?
浮かび上がる様々な思い。
思えばひどく冷淡な扱いをしてきた。今頃気付くなんて、遅すぎはしないだろうか。
昨晩の夢、ユルの影が僕をざわつかせるが、強く握り締めてくれた手の感覚を思い出す。
まだ、きっと間に合う。
静かに深呼吸をして、唇をかみしめた。
素直になれるように・・・
力をくれないか。
眠るお前の耳元に囁く。
「おやすみ、チェギョン・・・」
それからそっと、そっと。
柔らかな頬に唇を寄せた。
誰も見ていない、これは僕だけの密やかな決意と宣言。
僕は。
シン・チェギョンが好きだ。
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